昔ながらのシンプルな姓名判断です。
神戸占術倶楽部

初めまして瑞兆です

初めまして瑞兆です
今日という一日が皆様の未来にとって恵みの一日となりますように。

私は思春期を過ぎた頃から
人に馴染む事が出来なくなりました。

皆と同じモノを見ても
自分が違う空間を
見ていることに気づいたからです。

幼い頃から見える世界は同じなのですが
それが私だけに見えている事に
気づいたのです。

その頃から周りの親をはじめ
まわりの大人達、友人達とも
話が噛み合わなくなっていきました。

私の実家は戦争の被害も少なく
美しい白壁の古い商家が並ぶ街道の
関所近くにあり数軒先のお寺の向かいには
”晒し場跡地”の石碑がありました。 

そのせいか毎晩布団に入ると
目の前に”首”だけが様々な”事情”を
語りかけてくるのでした。

夜な々繰り広げられる話は
”言葉”より”映像”で伝えてくるものが殆どで
言葉の理解が不十分な幼い私にとって
相手の感情を理解するには十分なものでした。

この現象は私が中学生になり
両親が新築した数キロ先の
丘の上の家に引っ越すまで続きました。

新築の家に引っ越しても
不思議な体験は変わりませんでした。

新築の家なのに夜
家族が寝静まった頃
廊下を歩くと仏間から
若い男性がこちらに向かい
私の目の前まで来ては消えるのです。 

若い男性はいつも笑顔でした。

それが誰だか解ったのは
それから40年近く経って
我が家の家系図を作るため
取寄せた原戸籍を見たときです。

それは若くして戦地で亡くなった
大叔父だったのです。

幼い頃
明治生まれの祖父に
兄弟がいた話を
聞いた覚えはありましたが

古民家に居た頃は
出遭うことがなかったので
私はとても嬉しく思いました。

不思議な体験は夜ばかりではありません。

関所近くの実家の向かいには
明治から昭和にかけて英華を極めた
木造三階建ての大きな料亭がありました。 

実家の隣はお茶屋さん。 

昼間、実家で店番をしていると
向かいの料亭から隣のお茶屋さんまで
若い芸者さんたちの笑い声が聞こえます。

”笑い声が風に乗る”この現象は私だけでなく
勘のいい友人や子供達にも聞こえるそうで
我が家の名物の一つでもありました。

幼い頃からの諸々の体験は
私に不思議な効力をもたらしました。

出遭う人達との他愛のない会話の中でも
”このままいくと会話の相手が
この先どうなるか” 
話を聞きながら勝手に画像が
映し出されるようになったのです。

顔見知りの相手なら
声を聞くだけで未来の映像が
勝手に見えてしまいます。

近未来の事から数十年先の未来が
映ることもあります。

自分の体調によっては
すれ違う見ず知らずの
相手の未来まで見えてしまうので
この目に焼き付いた未来の道筋は
数知れません。

そんな中で私は誰の未来にも
”幸福への道”が備わっていることを
身にしみて知ったのです。

そしてそれを知らないまま
苦労している人がたくさんいることも。

人生の一歩先には
幾通りもの道が用意されています。

幸福な道、苦労の道、楽しい道、悲しみの道・・・

私のもとに相談に見える方々は
多くの場合「幸福な道」を求め彷徨い
悩み疲れ果てています。

迷われる方々の前にも
「幸福な道」があります。

情報過多や情報不足による
不安や恐怖が濃霧となって
目の前に道があることさえも
分からない状況に陥っているだけなのです。

濃霧のない私の目から見れば
道は進行方向をはっきりと示しています。

私に見えている世界の人達は口を揃えて
「”建前重視””私欲優先”の現実社会の
常識を棄て法則に従いなさい」
と教えてきます。

その教えは時に相談相手を
驚かせ戸惑いを覚えさせます。

幸福を手にする方法は
”私利私欲の損得勘定”ではなく
”法則に準ずる”だけです。

幼い頃から私だけに
見える世界の住人たちが
教えてくれた”人生の法則”

私も歳を重ね
その厳密さを
より深く理解できるようになり

たくさんの経験から
法則には過去を修正しより良い未来を
引き寄せる力があることも実感しました。

法則は万人に共通するものです。

過去や未来の不安
時間に追われることなく
花鳥風月を愛で
気の合う友人達と旨い食事を愉しむ。

病に怯えることなく
人生は常に幸福に満ちあふれ
死を恐れることもない。

幸福は誰の人生にも用意されています。

幸福を望むが拒むかはあなたの自由です。

皆様の暮らす現実社会とは
ひと味違った世界に身を置きながら数十年
時間の許す限り一人でも多く方に
幸せな人生のお手伝いを
続けていきたいと願っています。

幸福な人生を求め
ご自分の心に正直に生きる決心の堅い方は
神戸占術倶楽部までご相談下さい。

人生の法則に従い
行く手を阻む濃霧が晴れるまで
瑞兆が責任をもってご案内致します。

令和6年 1月元旦